「全（ぜん／まったき／また）」という名字は、日本国内でも非常に珍しい一字姓のひとつです。この「全」という漢字は、古代中国の儒教や仏教の思想に由来し、「すべて」「完全」「欠けのないこと」を意味します。日本では古くから縁起の良い文字として用いられ、名前や寺院名、商号などにも好まれた漢字です。しかし、姓として「全」を単独で用いる家はごくわずかであり、現代でも非常に珍しい存在です。本記事では、「全」さんという名字の意味・由来・歴史・読み方・分布などを、名字研究の文献や系譜資料に基づいて詳しく解説します。
全さんの名字の意味について
「全」という漢字の意味は「すべて」「完全」「満ちる」「欠けない」などを表します。字源的には、古代中国の金文・篆書において「王が手に持つ宝を守る姿」を象った字で、「守り抜く」「完全に保つ」という意味を持っていました。このことから、完全さ・誠実さ・円満さを象徴する漢字として古代から用いられています。
日本語においても、「全（まったく）」という訓読みが示すように、「欠けることなくすべてが整っている」「誠実で完全である」という意味を持ちます。そのため、「全」姓を持つ家には、「すべてを尽くす」「誠を尽くす」「完全を目指す」といった理想や徳目が込められていると考えられます。
また、仏教用語の中では「円満」「成仏」「全智」など、「全」は悟りや真理の完全性を象徴する文字でもあります。したがって、この字を名字として用いることは、宗教的・哲学的な意味合いを持っていた可能性が高いとされます。
さらに、「全」は中国や朝鮮半島においては古くから使われている姓のひとつでもあります。特に韓国では「全（チョン／Jeon）」姓が非常に多く、日本にも朝鮮由来の「全」姓が存在することが確認されています。そのため、「全」姓には日本固有の地名姓と、渡来系（外来系）姓の両方が存在することになります。
全さんの名字の歴史と由来
「全」姓の歴史には、大きく分けて二つの系統が考えられます。ひとつは日本国内で生まれた地名姓、もうひとつは大陸（特に朝鮮半島）から伝わった渡来系姓です。
まず、日本国内起源の「全」姓について考えると、奈良時代から平安時代にかけての古文書に「全」の字を含む地名がいくつか確認されています。たとえば「全田（まっただ）」「全川（まったがわ）」などの地名が存在し、これらの地名に住んだ豪族や庄屋が「全」を略称として姓とした可能性があります。このように、一字姓としての「全」は、地名由来の略称または象徴的な意味を持つ名字として成立したものと考えられます。
また、中世以降には寺院や僧侶が「全」の字を名乗ることがありました。禅宗や真言宗の系譜では、「全真」「全海」「全覚」など、「全」を僧名の頭に冠する例が多数見られます。このため、仏門関係者の出自に由来する「全」姓も存在した可能性があります。
一方、渡来系の「全」姓については、特に朝鮮半島との関係が深いとされています。朝鮮では「全（チョン／Jeon）」姓が広く分布しており、百済や新羅の時代に日本へ渡来した知識人・技術者の中に「全」姓を名乗る者がいた記録もあります。たとえば、百済王族の一部や学者層が日本に渡り、奈良や筑紫地方に定住した際に、姓をそのまま受け継いだ例が知られています。
その後、江戸時代の帰化記録や明治初期の戸籍制度制定時に、「全」姓が正式な日本の名字として登録されました。特に九州や山口県などでは、古くから朝鮮半島との人的交流が盛んだったため、「全」姓を名乗る家が残っています。
このように、「全」姓は日本の地名姓としての起源と、外来姓としての系譜の両方を持つ、複層的な背景を持った名字といえます。
全さんの名字の読み方
「全」姓の読み方には複数のバリエーションが存在します。確認されている主な読み方は次の通りです。
- ぜん（最も一般的な読み方）
- まったき／まった（古訓・和語的読み）
- また（九州地方における訓読み）
- チョン（朝鮮由来の読み方、韓国姓の音読み）
最も一般的な読み方は「ぜん」です。これは漢音に基づく読みで、仏教用語や儒教の語彙でも多用されるため、宗教的背景のある家ではこの読みが定着しています。
また、地名や古文書の中では「まったき」「まった」と読む例もあります。これは「全（まったき）」という訓読みをもとにしたもので、日本語本来の発音に近い形です。特に近畿や山陰地方では、古くから「まった」「まつた」と訓読する姓が確認されています。
さらに、朝鮮半島から渡来した「全」姓の場合は、「チョン（Jeon）」という韓国語の発音をもとに登録された例もあります。明治期の帰化時に、日本語表記として「全（ぜん）」または「全（また）」としたケースがあり、地域によって読み方に揺れが生じています。
したがって、名字としての「全」は、由来する地域や家系のルーツによって「ぜん」「まった」「チョン」など複数の読み方が併存していることが特徴です。
全さんの名字の分布や人数
「全」姓は全国的に見ても非常に珍しい名字であり、名字研究データベース「名字由来net」などの統計によると、全国でおよそ200人から300人程度と推定されています。日本に約30万種類ある名字の中でも、2〜3万位程度に位置する稀少姓です。
主な分布地域は以下の通りです。
- 山口県（下関市、宇部市など）
- 福岡県（北九州市、久留米市など）
- 佐賀県、長崎県（九州北部一帯）
- 大阪府・兵庫県（都市部への移住系）
- 東京都・神奈川県（近代以降の転居）
特に山口県と福岡県に「全」姓を持つ家が集中しているのは、古代から朝鮮半島との交流が盛んだった地域であるためと考えられます。平安時代から室町期にかけて、博多や下関には多くの渡来人や交易民が住んでおり、その中に「全」姓の家が存在したと伝えられています。
一方、関西や関東の都市部では、近代以降の移住や帰化を経て「全」姓が広まった例が確認されています。特に戦後の移民・帰化によって「全」姓が日本各地に点在するようになりました。
ただし、現在でも非常に人口が少なく、全国的には珍名に分類される姓です。同姓同族関係が強く、地域社会では親族単位でまとまっているケースが多いとされています。
全さんの名字についてのまとめ
「全（ぜん／まったき）」という名字は、漢字の意味・語源ともに「完全」「誠実」「すべてを尽くす」というポジティブな意味を持つ、非常に縁起の良い姓です。その起源は、日本の地名や寺院名から生まれた地名姓と、朝鮮半島から渡来した外来系姓の両方に由来する複合的な歴史を持っています。
読み方は「ぜん」が最も一般的で、地域によって「まった」「また」などの訓読みも存在します。また、渡来系の家系では「チョン（Jeon）」の音読みを引き継いだ例もあります。
分布としては、山口県・福岡県など九州北部を中心に見られ、全国的には200人前後とされる希少姓です。日本国内において一字姓は古くから名家・由緒ある家に多く見られる傾向があり、「全」姓もまた、古代の官職名・宗教的系譜・渡来系の文化が重なり合った歴史を持つ名字といえるでしょう。
「全」という字の意味する「完全・誠実・調和」は、日本文化が重んじてきた「円満」「中庸」の精神に通じます。そのため、「全」姓は単なる珍しい名字ではなく、日本とアジアの文化が交わった象徴的な名字として、深い歴史的・文化的価値を持つといえます。