北海道の冬の味覚として古くから親しまれてきた「鯨汁(くじらじる)」は、厳しい寒さの中で体を温めるための伝統料理のひとつです。鯨の肉や脂を使い、味噌仕立てで根菜とともに煮込むこの料理は、道南を中心に北海道各地で作られてきました。かつて北海道では、鯨は貴重なタンパク源であり、漁業や捕鯨が盛んだった時代の名残として、家庭の味として受け継がれています。現在でも冬の郷土料理として人気が高く、懐かしさを感じさせる味わいが地元の人々に愛されています。
鯨汁について
鯨汁とは、鯨の赤身肉や脂(皮下脂肪)を具材として用いた味噌汁で、北海道の郷土料理の一つです。特に冬の季節に食されることが多く、体を温めるための栄養豊富な汁物として知られています。鯨の旨味と脂の甘みが野菜に染み込み、味噌の風味と合わさって独特の深い味わいを生み出します。
鯨汁には、部位によって異なる風味と食感があります。代表的な具材としては、「本皮(ほんかわ)」と呼ばれる皮付き脂身や、「赤身肉」、「うねす(あごの部分)」などが使われます。これらは鯨特有のコクと香りを持ち、味噌仕立ての汁と絶妙に調和します。また、臭みを抑えるために生姜を加えることが多く、寒冷地でも保存の効く食材として重宝されてきました。
北海道では「鯨汁」以外にも、地域によっては「くじら鍋」「くじら味噌汁」と呼ばれることもあります。いずれも鯨肉を使った温かい汁物であり、漁師町や沿岸部の家庭料理として根付いています。
鯨汁の歴史と文化
鯨汁の歴史は、北海道における捕鯨の歴史と深く関わっています。江戸時代から明治時代にかけて、北海道沿岸では捕鯨が行われており、函館や松前、室蘭などでは鯨を貴重な食材として利用していました。北海道での捕鯨は本州の和歌山県や長崎県などの捕鯨基地から技術が伝わり、鯨肉は保存食や栄養源として重宝されました。
特に冬場の北海道では、新鮮な肉や魚を手に入れるのが難しかったため、保存性に優れる鯨肉が貴重なタンパク源となりました。鯨の肉は塩漬けや干物として保存され、寒い季節になると味噌汁にして食べる習慣が定着しました。こうして「鯨汁」は、冬を越すための生活の知恵として発展したのです。
明治以降になると、北海道では本州から移住してきた人々が持ち込んだ食文化と融合し、鯨汁の味付けや具材に地域差が生まれました。例えば、道南地方では濃い味噌で煮込むこってりとした味わいが主流であり、道北や道央では比較的あっさりした味付けが好まれます。
戦後になると、鯨肉は全国的に安価で手に入る食材となり、学校給食などにも取り入れられた時代がありました。しかし、1980年代以降の商業捕鯨の規制強化により鯨肉の流通が減少すると、鯨汁は徐々に「懐かしい郷土の味」として位置づけられるようになります。現在では、冷凍鯨肉や輸入鯨肉を使って家庭や飲食店で再現されることが多く、正月料理や地域の祭りの定番メニューとして残っています。
鯨汁の食材、特徴と主な伝承地域
鯨汁に使われる主な食材は以下の通りです。
- 鯨肉(本皮、赤身、うねすなど)
- 大根
- 人参
- ごぼう
- こんにゃく
- ねぎ
- 生姜
- 味噌(主に赤味噌または合わせ味噌)
鯨肉の部位によって味や食感が異なり、「本皮」は柔らかく脂の甘みが強いのに対し、「赤身」はしっかりとした旨味があります。「うねす(あご肉)」はゼラチン質が多く、煮込むととろけるような食感になります。これらを味噌仕立ての汁に加えることで、コクのあるまろやかな味わいになります。
北海道の中でも特に鯨汁が伝承されている地域は、函館市、松前町、江差町などの道南地方です。これらの地域は古くから捕鯨が行われていた場所であり、鯨肉を使った料理が家庭の味として定着しました。道央の札幌市や小樽市でも、冬季限定の郷土料理として提供されることがあります。
また、宗谷地方や留萌地方などでも、鯨肉が手に入る時期には家庭で鯨汁が作られることがあります。いずれの地域でも、寒い冬に食べる「滋養食」として位置づけられています。地域によっては、祝い事や正月に鯨汁を振る舞う風習も残っており、家族団らんの象徴的な料理として今も親しまれています。
鯨汁の作り方
家庭でも作ることができる基本的な鯨汁の作り方は以下の通りです。
- 鯨肉を下処理する。冷凍鯨肉を使用する場合は解凍し、熱湯をかけて臭みを取る。
- 大根、人参、ごぼうなどの根菜を食べやすい大きさに切る。ごぼうはささがきにして水にさらす。
- 鍋に水を入れ、鯨肉と根菜を加えて煮る。アクが出たら丁寧に取り除く。
- 具材が柔らかくなったら、味噌を溶き入れる。味噌は赤味噌と合わせ味噌をブレンドするのが一般的。
- 仕上げに生姜のすりおろしや刻みねぎを加え、ひと煮立ちさせる。
ポイントは、鯨肉の臭みをしっかり取ることと、脂のコクを活かすことです。生姜や味噌が臭み消しに効果的で、鯨肉の旨味を引き立てます。また、鯨肉を炒めてから煮込む方法もあり、香ばしさが加わって一層深みのある味わいになります。寒い季節には、熱々の鯨汁を食べることで体の芯から温まります。
鯨汁についてのまとめ
鯨汁は、北海道の厳しい冬を支えてきた伝統的な郷土料理です。鯨肉という貴重な食材を無駄なく使い、味噌や根菜とともに煮込むことで、栄養と温かさを兼ね備えた料理として発展してきました。その背景には、北海道の捕鯨文化や生活の知恵が息づいており、単なる汁物を超えた「地域の記憶」としての価値を持っています。
現代では鯨肉の入手が限られていますが、冷凍品や加工品の流通によって家庭でも楽しめるようになっています。函館や松前などでは、今もなお冬の味覚として飲食店や家庭の食卓に登場し、観光客にも人気です。鯨汁は、北海道の海と人々の暮らしをつなぐ、歴史と文化の詰まった一杯といえるでしょう。
